2012年04月13日
4/13父の七回忌
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様々な苦労を重ね、やっと年金がもらえる前年に、
突然、
「慢性腎不全で、一年以内に人工透析になるでしょう。」
と告知されました。店があるから病院にはなかなか行けない。
自分でもある程度重い病気を患ってると感じていたのか、
「入院したら、店を閉めなければならない。」と相当悪くなるまで
病院に行きませんでした。
顔色もかなり悪くなってからようやく病院に行ったときは、
時既に遅し、でした。
苦労に苦労を重ねてきたにも関わらず、晩年に大病を患い、
食事制限がきつい中、本当に辛い思いをしたと想います。
妻(=Sou-Keiの母親)が、その後大怪我をしてから、
充分看てあげることができず、悔いが残ります。
ある朝、「人工透析」のため、2階から1階で寝ているはずの
父(shige)を起こしに行ったら、、、
掛け布団をまくった上、「さぁ起きよう」という体制のまま、
動かなくなっていました。呼びかけても反応がありません。
救急車を呼んで、toshiも乗り込んで、心臓マッサージの
様子を伺っていました。そして、病院。
治療室には入れてもらえず、、、蘇生術が継続されるも、
そのまま亡くなってしまいました。
あまりにも呆気ない死でした。
前の晩、特に変わった様子もなく、何で?って感じでした。
人工透析患者さんの場合、決して珍しくはない突然の死。
でもまさか、それが突然うちに訪れるとは、、、
「もう少し早く気づけば良かった」と言うと、
病院の先生からは、
「逆に早ければ、命に別状はなかったかも知れないけれど、
植物人間のようになられてたかも知れません。」
と言われました。
【4/13】 時々、おとやん/あれから・・・2年、1年 「今日の出来事(909197)」
[ 【歩み】(日々の出来事) ]
2005年4月13日。
おとやん(shige)が亡くなった。突然のことだった。
朝、2回から降りて来たら、おとやんが亡くなりつつあった。
身体が硬直しかけ、冷たくなりかけていた。
救急車を呼んで、心臓マッサージをして頂きながら、救急病院に行き、
処置室におとやんだけが担ぎ込まれた。
toshiは今起こりつつある「出来事」に少しでも冷静でいられるよう、
自分を落ち着かせようと懸命だった。
おとやん(shige)は、謙虚で、控え目で、穏やかで、優しくて、人当たりがよかった。
滅多に怒らないけれど、怒るととても怖かった。
妻(tomo)と長男(toshi)にだけはとても厳しかった。
倹約家で、自分のためには殆ど何も買わない人だった。贅沢をしたことなど一度もないだろう。
子供の頃に泥棒に入られた経験から、いつも戸締りを念入りにしていた姿が今も目に浮かぶ。
父を二十歳の頃に亡くし、大勢の兄弟姉妹のために身を粉にして働いた。
若い頃は別にして、働くことしか知らない人だった。
病院に行けば、その間、店を閉めなければならない。だから、病院には行けない。
そう言ってとことん悪くなるまで病院に行かず、
無理やり連れて行った時には、「後戻りできない病気」=慢性腎不全になる手前だった。
おとやん(shige)は、誰のために、何のために一所懸命に生きてたんだろう。
不意に生命を失った。苦しそうな表情ではなく、「さぁ、起きよう」と思って起きかけた時、
突然、神様からお呼びがかかってしまったようだ。
殆ど苦しまずに亡くなったであろうおとやん(shige)は、
最期に「いい生き方・いい死に方」ができてよかったと喜んでいるに違いない。
家族のためにも、自分のためにも―――。
2006年4月13日。
楽天ブログ:-さんしゃさんよう(三者三様)-
を始めた。
管理人:tomo&toshiと銘打ったが、
直接おかやん(tomo)はこのブログを直接観ることなく、昨年の7月に亡くなった。
【闘病記】【看護・リハビリ体験記】そして、
【医療・福祉のあり方】をさまざまな角度から綴っていくはずだった。
勿論、諦めた訳ではないけれど、今は未だ手についていない。
それどころか、このところ殆ど更新もできていない有り様だ。
もちろん、『ぺ~す・まい・ぺ~す』が心情なので、「書きたい時に書けばいい」のだから(笑&泣)。
そして・・・
2007年4月13日。
あっという間に2年が過ぎた。
秘密日記 ご本人のアクセス時のみ表示
2005年4月13日。
おとやん(shige)が亡くなった。突然のことだった。
朝、2回から降りて来たら、おとやんが亡くなりつつあった。
身体が硬直しかけ、冷たくなりかけていた。
救急車を呼んで、心臓マッサージをして頂きながら、救急病院に行き、
処置室におとやんだけが担ぎ込まれた。
toshiは今起こりつつある「出来事」に少しでも冷静でいられるよう、
自分を落ち着かせようと懸命だった。
おとやん(shige)は、謙虚で、控え目で、穏やかで、優しくて、人当たりがよかった。
滅多に怒らないけれど、怒るととても怖かった。
妻(tomo)と長男(toshi)にだけはとても厳しかった。
倹約家で、自分のためには殆ど何も買わない人だった。贅沢をしたことなど一度もないだろう。
子供の頃に泥棒に入られた経験から、いつも戸締りを念入りにしていた姿が今も目に浮かぶ。
父を二十歳の頃に亡くし、大勢の兄弟姉妹のために身を粉にして働いた。
若い頃は別にして、働くことしか知らない人だった。
病院に行けば、その間、店を閉めなければならない。だから、病院には行けない。
そう言ってとことん悪くなるまで病院に行かず、
無理やり連れて行った時には、「後戻りできない病気」=慢性腎不全になる手前だった。
おとやん(shige)は、誰のために、何のために一所懸命に生きてたんだろう。
不意に生命を失った。苦しそうな表情ではなく、「さぁ、起きよう」と思って起きかけた時、
突然、神様からお呼びがかかってしまったようだ。
殆ど苦しまずに亡くなったであろうおとやん(shige)は、
最期に「いい生き方・いい死に方」ができてよかったと喜んでいるに違いない。
家族のためにも、自分のためにも―――。
2006年4月13日。
楽天ブログ:-さんしゃさんよう(三者三様)-
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管理人:tomo&toshiと銘打ったが、
直接おかやん(tomo)はこのブログを直接観ることなく、昨年の7月に亡くなった。
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【医療・福祉のあり方】をさまざまな角度から綴っていくはずだった。
勿論、諦めた訳ではないけれど、今は未だ手についていない。
それどころか、このところ殆ど更新もできていない有り様だ。
もちろん、『ぺ~す・まい・ぺ~す』が心情なので、「書きたい時に書けばいい」のだから(笑&泣)。
そして・・・
2007年4月13日。
今の自分がとても悲しい。今の暮らしぶりがやるせない。
おとやん(shige)、おかやん(tomo)は、きっと嘆き悲しんでいるに違いない。
きっと怒っているに違いない。
ずっと、お仏壇の前で謝る日々が続いている。寝床の中で謝る日々が続いている。
おとやん、おかやん。かんにんやで。かんにんしてや。
ずっと、心の中で泣いている。
おとやん、おかやんに“救い”を求めようとは思わないのだけが“救い”か・・・
【父】の誕生日
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【一人娘】保育園【ならし登園】→三人で【ベビーショップ】×3
【彦根市のとある保育園】一人娘の入園式【家族三人で】大安吉日
【父親の誕生日】誕生花:沈丁花・エンドウ・エリカ・猫柳・花韮
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Posted by Sou-Kei toshi at 21:56│Comments(0)
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